浮気相手になった経験がある。正確には、当時の僕には恋人がいなかった。相手には恋人がいた。だから浮気をしたのは向こうで、僕はその相手になったということになる。こう書くと、自分には責任がなかったようにも見える。でも、もちろんそんなことはない。相手に恋人がいると知りながら、その関係に入ることを選んだ。当時の僕には、「人間の欲望というものを知ってやろう」という気持ちがあった。少し大げさに言えば、社会勉強のようなものだった。社会の表側にある正しさではなく、その裏側にあるものを見てみたい。社会規範に従うだけの人間ではつまらない。そこから外れることに、どこか格好よさを感じていたのだと思う。今の僕は、あまりおすすめしない。
帰る場所の違い
その関係の中で強く感じたのは、二人のあいだにある非対称性だった。会っている時間は、僕と相手の二人だけだった。その間だけを見れば、お互いが同じ関係の中にいるように思えた。でも、別れたあとは違う。その日の終わりに「バイバイ」と言って、相手は恋人のいる生活へ帰っていく。今もその人と付き合っているかは知らない。ただ少なくとも当時は、生活を共にし、本当の恋人と呼べる相手が待っていた。僕は一人で家に帰る。そこには誰もいない。相手には、僕と会っていない時間にも続いている関係があった。僕には、その時間がなかった。会っている間は同じ場所にいても、別れた瞬間に立っている場所がまったく違った。その違いは、思っていたよりもきつかった。
生活には勝てなかった
僕は嫉妬した。相手に恋人がいるという事実に、かなり嫉妬した。どうにかして二人を引き離せないかとも考えた。相手がこちらを選んでくれればいいと思った。たぶん僕の中には、「好き」という感情の強さがあれば、既にある関係を覆せるのではないかという期待があった。でも、瞬間的な「好き」や「大好き」よりも、生活を共にしていることのほうがずっと大きかった。一緒に食事をすること。帰る場所が同じであること。相手の予定や生活の癖を知っていること。そうしたものは、派手ではない。けれど、日々の中で積み重なっている。恋愛というと感情の強さを考えてしまうけれど、関係を支えているのは感情だけではないらしい。僕は独り身だった。本来なら、僕自身が誰かと出会い、一から関係を育てていくこともできた。そうする資格があった。それなのに、既に別の生活を持っている人との関係に留まり続けた。そのことは今でも、少し引っかかっている。
終わりのない関係
浮気の関係には、納得できる終わりがあまりない。相手が恋人と別れてこちらを選ぶか、こちらとの関係をやめるか。あるいは、曖昧な状態を続けるか。少なくとも僕には、その三つくらいしか見えなかった。誰も傷つかず、何も失わず、そのまま自然に正しい形へ移っていく道はなかった。そして僕の場合は、相手を不幸にした。最初から傷つけたいと思っていたわけではない。それでも嫉妬し、相手の関係を壊したいと思い、感情をぶつけた。その結果として、相手を苦しませた。社会規範に「ノー」と言うことは、ときに格好よく見える。けれど、社会規範に背いたという意識は、あとから思った以上に長く残る。規範は、ただ人間を縛るために存在しているわけではないのかもしれない。守らなければ誰かが傷つくから、あるいは自分自身の中に傷が残るから、そこに置かれているものもある。それを僕は、実際に背いたあとで知った。
選べてしまう自分
この経験のあと、僕は少し臆病になった。純愛と呼ばれるようなものや、普通の恋愛に対する憧れも強くなった。ただ、それは純粋なものを新しく求めるようになったというより、一度失ってしまった感覚に近い。以前の僕は、目の前に一本の道しかないと思って歩くことができた。今は違う。こちらの道も選べる。あちらの道も選べる。倫理から外れることも、その気になればできてしまう。自分はそういうことができる人間なのだと知っている。選択肢を知らなければ、ただ進むことができる。しかし、選べてしまうと知ったあとでは、同じ道を歩いていても腹の座り方が違う。僕はこれを、自分にかかった一種の呪いだと思っている。悪いことをしたから、罰として一生苦しむべきだという話ではない。自分の中にある可能性を知ってしまったこと。その可能性を、もう知らなかった頃には戻せないこと。人は、倫理を食い破ろうと思えば食い破れる。少なくとも僕は、そうできる人間だった。
二重の挫折
さらに年齢を重ねると、別の感覚も出てくる。自分には倫理から外れる選択もできると思っていた一方で、そもそも誰かから恋愛の対象として見られる機会自体が、少しずつ減っていく。選べてしまう自分。そして、選べる土俵に立つことさえ難しくなっていく自分。この二つが同時に存在している。一方では、自分の欲望や倫理の危うさを知っている。もう一方では、その欲望を向けたり向けられたりする場所から、自分が遠ざかっているようにも感じる。それを挫折と呼ぶのか、拘束と呼ぶのかは分からない。ただ、二重に屈折しているという感覚はある。だから、同じような関係に入りそうな人がいるなら、悪いことは言わないから、ちゃんと考えたほうがいいと思う。「不倫は悪い」という一言で終わらせたいわけではない。社会規範から外れることには、外側から見ているだけでは分からない重さがある。その関係が終わったあとも、自分がそれを選べたという事実は残る。僕の場合は、それが何年たっても完全には消えなかった。今も純愛に憧れている。でも、その純愛を求めている自分の中に、別の道を選べてしまった自分もいる。どちらかが偽物ということではないのだと思う。たぶん、どちらも僕なのだ。