初めてマッチングアプリで誰かとマッチしたとき、一番先に感じたのは、うれしさではなかった。怖かった。「自分なんかとマッチする人がいるんだ」と思った。書いてみるとずいぶん卑屈だけれど、本当にそうだった。
マッチングアプリを使うのも初めてだったし、そもそもそれがどういう場所なのかも、よく分かっていなかった。
僕の中にあったのは、昔の「出会い系」のイメージだった。画面の向こうにいるのがどういう人なのか分からない。何が普通で、どこから警戒したほうがいいのかも分からない。だから、期待値は低く持っていた。期待しなければ、傷つかなくて済む。たぶん、そういうことだったと思う。
ただ、実際に使ってみると、アプリには会話を助けるための仕組みがいろいろあった。こういう話題がおすすめです、と表示されたり、自分の好きなものをプロフィールで紹介できたりする。「自分はこういう人間です」と、あらかじめ少しずつ開示できるようになっていた。それを見て、恋人とまではいかなくても、話の合う友達ができればいい、くらいには思った。
今、当時の自分に何か言うとしたら、「そんなに身構えなくていいから、とりあえずやってみなよ」と言うと思う。
実際、それから何人かとマッチした。メッセージを交わして、会った人もいる。でも、いい縁には結びつかなかった。
何度か繰り返しているうちに、僕にとってマッチングアプリは、少しずつ自信をなくしていくシステムになった。もちろん、最初から自分に大きな期待を持っていたわけではない。自分は恋愛市場で高く評価されるような人間ではないだろう、という感覚は、使い始める前からあった。だから「期待を裏切られた」という言い方も、少し違う。
自分に対する期待値は、もともと低かった。でも、恋愛そのものに対する期待値は、案外高かったのだと思う。
ここは、自分でも話しながら気づいたところだった。僕は恋愛をしたくて、マッチングアプリを始めた。相手にものすごく高い条件を求めていたわけでもない。言葉は悪いけれど、「分相応」というものを考えていた。目標設定を低くすれば、自分にも恋人ができるのではないか。
今思うと、恋愛に対して目標設定という言葉を使っている時点で、何かがおかしい気もする。
でも当時は、かなり真面目にそう考えていた。条件を現実的にして、自分なりに努力をして、何度か会うことができれば、いつかは関係が始まるのではないか。そう思っていた。
けれど、人の心は、目標設定を低くしたからといって近づいてくるものではなかった。恋愛では、うまくいかなかったことが、そのまま自分自身の評価に結びついてしまう。
仕事なら、やり方が悪かったとか、経験が足りなかったとか、ほかの理由を考えられる。恋愛にも本当はタイミングや相性があるはずなのに、うまくいかないことが続くと、「自分は人間として駄目な部分が多いのではないか」と思わざるを得なくなる。
実存的、というと大げさかもしれない。でも恋愛は、自分が誰かにとって必要な存在になれるかどうかを、直接問われているように感じる。
よく、三回目のデートで告白するのが王道だと言われる。ただ、あれはお互いの熱量が相当に高くなければ成立しないのではないか、と僕は思う。三回会った程度で、相手に伝わる魅力を持っている人もいる。
一方で、僕の魅力は、どうやら三回くらいでは伝わる形をしていなかった。魅力がない、ということなのかもしれない。あるいは単純に、マッチングアプリの速度や仕組みと、僕の人間関係の作り方が合っていなかっただけなのかもしれない。
そこは今も、よく分からない。
何も変えなかったわけではない。
友達から「どんな趣味を持っている人なら話が合いやすいのか、考えてみたら」と言われたことがある。それで、自分のプロフィールに載せる趣味や、その見せ方を変えた。話しやすそうな人に興味を持ってもらえるように、自分の一部分を並べ直した。その変更が、会うきっかけになったこともある。結局、恋人ができたわけではない。でも、何もしなかったわけでもない。
この経験から、読んだ人に何を伝えたいのかと考えると、難しい。マッチングアプリはやめたほうがいい、と言いたいわけではない。恋愛そのものを諦めてほしいわけでもない。僕の経験を、誰かの結論にしたくもない。
うまくいく人もいる。また始めてみようと思う人もいるだろうし、もう疲れたと思う人もいるだろう。僕自身、恋愛に対する期待値が下がったと言いながら、完全に諦めたのかと聞かれれば、たぶんそうでもない。そのあたりは、まだまとまっていない。
ただ、恋愛をしたいのに自信がないこと。行動しているのに、行動するほど自分を疑ってしまうこと。期待しないようにしていたのに、実はずっと期待していたこと。そういう矛盾の中で迷っているのは、たぶんおかしなことではない。少なくとも、僕もそうだった。